名前:下城民夫 (しもじょう たみお) 1960年生まれ 173cm 62kg B型 宝塚在住 ・アウトドア情報センター 所長 ・アウトドアプロデューサー ・コンピューター学校講師 ・同志社女子大学非常勤講師 (2006年〜) ・日本バーベキュー協会 会長 <アウトドアとの出会い> 記憶に残るアウトドア初体験は父親に連れられて行った六甲山での野鳥獲り。 六甲山のハイキングコースからはずれ笹で覆われた深い薮を漕ぎながら道なき道を奥へ奥へと分け入り、今では国際法上禁止されているカスミ網やトリモチでメジロを捕まえていた。 *注/当時は市役所に申請すると一匹250円で野鳥を捕獲できた。
以来、近くの山(主に六甲山)に入ることが好きになり、その当時制服がかっこいいと思い、「カブスカウト」に入ろうとするが、なんと!定員オーバーで順番待ち状態(今では考えられないが)その時、たまたま新聞に折り込まれたちらしで知った、アウトドア系の少年団、芦屋市立少年団に渋々入団する。
ところが意外にもこのダサダサの名前の『少年団』が軍隊式のボーイスカウト(のちに知る)とは違っていて、その開放的な団風や個性的なリーダー達に恵まれ、ズッポリはまった。この少年団の活動で山や川で楽しく遊びながら、キャンプ等の基本的な野外活動の基礎知識を得た。*その当時のゴリラの山下リーダー、神戸大学の木内リーダーほんとにありがとう。今にして思えば、芦屋市立少年団での野外経験が自分にとって大きな財産となったと感じている。
<略歴> 学生時代のアルバイトの流れから大阪の小さなイベントプロダクションに入社。そこでは地を這うような地味なイベントから、地方博覧会のパビリオンのプロデュースまで、大小様々なタイプのイベントを企画運営する。
そのころから、友人(私の旅の師匠若ハゲ山口)の影響でバックパックを背負っての外国旅行に目覚め、中国(メイヨー攻撃には参った)、チベット(空気がない!)、ネパール(ダルバート大好き)、インド(インド人滅茶濃い)、タイ(パラダイス!)など東アジアを中心に一人で放浪旅行する。中でも印象深いのが、極寒の冬のチベットからネパールへ抜けるいわゆるヒマラヤ越えコースでは標高5000mの峠でマイナス30度を体験。それからしばらくは少しでも寒さを感じると「恐い」とさせ感じるようになってしまった。
いずれも貧乏旅だったが、訪れた国々で日本では考えられないような多種多様な価値観を持った人たちとに出会い、体感として世界の広さを感じた。そして世界のバックパッカーとの交流や旅先での沢山の人達との出会いで精神的に大きな影響を受ける。この時期の一人でのバックパック旅で、人生のリセットスイッチが入ったような気がする。
帰国後、音楽系のプロダクションを経由して、縁あって某大手広告代理店のラジオテレビ局の契約社員となる。そこでは音楽(ロックンロールバンドスタンドetc)、スポーツイベント(京都都道府県対抗女子駅伝、大阪メルボルンヨットレース、花博フォリー、etc)やテレビ番組(それ行けマーシー!、新伍にタッチ!、所ジョージのサンデーピアスetc)などイベントやテレビ番組などを主に担当。
1992年退職。 同時に日本初のアウトドア&自然専門のクリエイティブプロダクション「アウトドア情報センター」を設立する。代理店時代の”枠取り”という発想を生かして、アウトドアと自然をテーマに絞り、新聞、雑誌、テレビ、ラジオなどのマスコミ媒体の”枠”を取り、各メディアに応じたオリジナルコンテンツ制作を受注するビジネスをはじめる。
新聞(毎日新聞、朝日新聞、スポーツニッポン、大阪新聞,、etc)、雑誌(ぴあ、ボブスキー、etc)の誌面編集や取材ベースのコンテンツ制作に誌面監修を主な業務とする。テレビではNHKの番組構成(ハローニッポン)やMBSのワイドショー(レインボー)のコメンテーター、FM番組(fmOSAKA)のDJなどをこなす。 ⇒テレビ・ラジオ番組の実績 ⇒新聞・雑誌掲載の実績
又、この時代には雑誌の取材で2ヶ月に1回のペースで世界中のアウトドアアクティビティの取材に出かける。訪れた国はオーストラリアの5回を最高に、他アメリカ(フロリダ・オレゴン・ハワイ)、カナダ、イギリス、スイス、マレーシア(ボルネオ)、フィジー、ニューカレドニアなどなどに多数の国や地域に精力的に取材に廻る。
以降、アウトドアの専門家として数多くのテレビ番組に出演(過去に出演したテレビ番組一覧)1997年10月からは”ハイキング”をテーマとしたテレビ番組「テクテク気分!」(テレビ大坂)のメインナビゲーターとして、6クール(1年6ヶ月)毎週レギュラー出演。山で作る手軽で楽しいテクテクランチコーナーが大評判となる。それ以降、テレビ各局からアウトドア料理をして欲しいとの出演依頼が激増する。紹介記事一例⇒ABCラジオアースドリーミング
1999年、阪急電鉄の出版による初のアウトドア情報誌「関西まるごと自然遊びBOOK」の立ち上げから総合監修までを引き受ける。2000年から同じく阪急電鉄フリーパーパーTOKKの「VIVA!アウトドア」をイラストレーターとのコラボレーションで連載する。
2001年からはネイチャーテイメント(自然と楽しく遊ぶ)という新しいキーワードを作りだし、数多くのオリジナルイベントをプロデュースしビジネス系アウトドアイベントを本格的にスタートする。
またコンピューター専門学校(インターネットカレッジWAO!)からの依頼で、デジタル時代のアナログ技術を教える講師の仕事もはじめる。アウトドアとデジタル(ネット)は両方とも今の人間生活にはなくてはならないものだと実感している。アウトドアとデジタルは実は相性が良いが持論。これからの時代は”自然”も”ネット”もどちらが欠けてもいけないと、ひしひしと感じている。この二つの世界の”楽しい癒合”が、これからの私の最大テーマだと考えています。
追記:2006年度より、同志社女子大情報メディア学科で非常勤講師を勤めています(メディアプロデュース論)。また同年、日本発のバーベキュー統括団体「日本バーベキュー協会」を設立。欧米に比べて貧弱すぎる日本のバーベキューのインフラを整えるべく、マスコミやアウトドア商品メーカーや食品業界、そしてバーベキュー施設と連携を取り、バーベキュー業界の底上げを図るべく活動しています。